空蝉

喪男の現実

かもしれない運転

 何度も同じ失敗をすることの馬鹿馬鹿しさを受験にたとえましたが、実際にはそれどころではないダメージを食らうこともあります。

 机の中に「体育館の裏で待っています」と女の文字で書かれた手紙が。行くと嘲笑されるという学生お決まりのパターンは今となってはまだいいほうで。職場で、別に私が好意を持っているわけではない女性に対してなぜか好意を持っているという噂が広まり、私の転勤寸前に本人に呼び出されて「フラれる」、ということもありました。それ以外にも多々ありますが、「お友達で」とか「ごめんなさい」と言われた記憶がありません。

 我々はまともな失恋すらさせてもらえないのです。

 そんなことが続けば、恋愛に対する態度は「だろう運転」ではなく「かもしれない運転」になるのは当然です。すなわち、この手紙を書いた女は私に好意を持っているのだろう、ではなく、この手紙を書いた女はリア充男子グループとつながっていて私を騙そうとしているのかもしれない、という危機回避思考を身につけるのです。こうなれば好意のそぶりを見せることすらできません。その女は私のことを嫌っている「かもしれない」のですから。告白なんてもってのほかです。

 それはお前の勝手な思い込みだ、と言われるかもしれません。しかしこっちはさんざん事故に遭ったうえでの結論なのです。以前の事故が大きければ大きいほど、臆病になってしまうものではないですか?それとも事故に遭ったら責任取ってくれますか?もちろん本気では言ってません。無責任に「進め」と言うのをやめてほしいだけです。

 「かもしれない運転」で、今日も一日ご安全に!!